立花隆の田中角栄再評価

 真名さん経由で知ったのだが、ジャパン・ハンドラーズとアメリカ政治情報というエラク密度の濃いブログがある。私のブログより数百倍密度の濃い内容のそのブログに立花隆氏が静かに「誤り」を認めた日と言うのがあるらしいのだ。
 このエントリによれば、立花隆は散々に批判していた田中角栄をいまになって再評価していると読める記事を書いているらしい。
まあ元の立花の記事には直接は書いてないんだけど、立花の思想の変遷をちゃんと追っていけば、そう読めるのだそうな。まあ、浅学非才でスカスカな内容のブログを書いている私にはすぐには分からんのですけど。

 確かにナイーブに考えても、田中角栄は小泉の新自由主義に対する強烈なアンチテーゼなのは直ちに分かる。最近、小泉を批判している立花隆も自然と田中角栄を再評価に行き着かざるを得なかったんだろう。ってか、これって転向じゃないのか?(笑)この人の科学技術分野の本は私は全く評価しないんだけど、政治評論も怪しかったのかよ。
 残念ながら(と敢えて私は言う)近年は田中角栄的なもの=旧橋本派・旧亀井派=絶対悪と見なす風潮が世論の主流である。私が支持している亀井静香だって、綿貫だって、世論的には絶対悪である。対照的に、小泉=絶対正義という図式が成立している。
 悪の反対だから正義って訳だ。そんなに世の中単純じゃないだろ、と私は叫びたいが、それはともかく、世間は小泉がかなり無茶なことをやっても許してるのは確かだ。
 どうして世論はこんなにも極端から極端に行くんだろうか。もっとクールに行こうぜ。絶対悪も絶対正義もいないだろ。そんなに世の中簡単じゃないんだし。
 
 ところで真名さんの唱える角栄の一生=キリストの一生説を読んでいてふと思ったのだが、それはそのまま小泉にも当てはまるのではないか。田中角栄は一時国民から熱狂的に支持され、後に日本の悪の親玉として、政治の表舞台から引きずり下ろされた。それと全く同様に、小泉もまた将来的に同じ末路を辿る可能性だってあるはずだ。
 近衛文麿東条英機を熱狂的に支持していたあの時代から日本国民は何か変わったんだろうか? 相も変わらず「救世主」を見つけては、最後は彼に向かって唾を吐く。今度も自分たちは最後まで「被害者」なわけか? なんか根本的に間違ってないか?