「何もしない完璧主義者」にならないために

 私は今まで勘違いしていた。
私はいつのまにか優れた意見でないと書いて公表してはいけないと思ってしまっていた。
自分で十分に調べ、ある程度の確信があることが前提ではあるが、それがどんな反応をさ
れるかどうかは別問題ではないか。
 優れたものではないと公表してはいけないというのは非常に危険な考えである。
なぜなら「何もしない完璧主義者」になってしまう危険性が高いからである。

あなたの学校や職場には次のような人がいないか?
人の仕事は批判するくせに、自分ではなにもやらない人。
それが「何もしない完璧主義者」である。

厳しい指摘をすること自体はいいことだ。しかし、そこで何か実のある提案というものがな
いと人を落胆させるだけである。
こういった人は非常に厄介である。何かをやろうとしている人を叩き潰すだけの存在になって
しまうからである。

仕事のあら捜しなんて人のためにも自分のためにもならない。
その意味でこう言う人は人生をすでに降りてしまった人ではないのか。
自分をいじめ、他人をいじめる。なんと実のない人生だろうか。

人生のどこかの段階で恐怖を知ってしまった。
すなわち誰かに批判される恐怖である。
その結果、つねに完璧な仕事であることを自分で求める。
しかし、世の中には一点の曇りもない完璧な仕事というのは存在しない。
やはりどこかに穴のあるものだ。
60%、70%満足の行く仕事と言うのは存在するが、
100%の満足というのは存在し得ない。
その結果、「何もしない完璧主義者」は100%満足の行く仕事が出来ない自分を責める。
やがて、100%の満足でなくては何もしないほうがマシだ、と考えることになる。
本来なら少しでも満足を高める努力をすべきだが、そうは考えなかった人が
「何もしない完璧主義者」である。

私は「何もしない完璧主義者」になりかかっていた。

友人の指摘がなかったらどうなっていたことか・・・

そして私は「ワシ、アホやし」という言葉に到達した。