普通の人の限界

またまた過去エントリーから
 
自民党派閥政治の勝利か。それとも小沢一郎構想の勝利か

なぜなら「変人」小泉政権に慣れた国民は「普通の人」安倍政権にすぐに「飽きる」可能性が高いからである。「変」が「普通」になれば「普通」は「退屈」に過ぎないのである。すると今度は小沢の根底にある「明晰さ」が選挙民には「新鮮」になる可能性が出てくる。

 選挙後の街頭インタビューを見るかぎり、、安倍のリーダーシップの無さを嘆く人が多かった。間違った政策を遂行した小泉のリーダーシップなんてはた迷惑なものでしかなかったわけだが、多くの国民にとっては未だに良いものとして心に残っているようだ。

 これから安倍が巻き返しを図るには「普通の人」であることをやめなくてはいけない。しかも、小泉並の変人さでは国民はもはや満足しないであろう。二番煎じはウケない。小泉以上の変人さを国民は求めているのである。もちろん、それは当然の如く実行は不可能である。
 
 安倍は育ちの良さのせいか、状況を素早く飲み込む能力に欠ける。問題がある閣僚を慰留して、その日のうちに閣僚が辞任なんていう噴飯ものの事態が何度もあったのがその証拠である。

 しかしいくら鈍感と言えども、ジワジワと現状が分かっていくはずだ。その時、安倍はどういう行動をとるんだろうか?

 グダグダの体で退陣する。

 それがもっともありうる事態だ。その時は自民党は崩壊寸前であろう。麻生でも福田でもましてや谷垣でも修復は不可能なほどであろう。

 自民党をぶっ壊す。小泉は6年前にそう言った。

 小泉の公約がもうじき実現されようとしている。