勝ち馬に乗って褒め上げるのは安易

 某ブログで絶賛されていた以下のエントリーを読んでみた。

 小泉的手法と民主党の敗因

 このエントリーを読んだときは呆れ返ってしまった。このエントリーのどこがすばらしいのであろうか・・・

 小泉が選挙中に発していた強いメッセージとやらを絶賛しているのである。確か私自身の印象でもにその姿は必死に映った。「殺されてもいい」という姿は一瞬目を奪われる迫力があった。

 しかしながら、その内容や言葉の意味を吟味すると「へ?なんじゃそりゃ??」と首を傾げざるを得なかったのも確かであった。
 小泉が言っていたのは「優勢民営化すれば日本はバラ色」というメッセージであった。しかしながらその論拠はいずれもまったくの嘘っぱちであった。こういうのを「デマ」と言うのではないのか。「デマ」でもいいから「強いメッセージ」を発しさえすればいいのか。日常レベルでやったら詐欺師である。
 また「殺されてもいい」という言葉は一体何を意味するのだろうか。「殺される」というのは何らかの加害者を想定している。彼を殺す「加害者」とは誰なのだ?
 彼の取っている政策は大企業重視、都市重視、「勝ち組」重視である。「勝ち組」の連中は小泉を「殺し」たりはしない。したがって彼を「殺そう」するのは、小泉の政策によって被害をこうむった人々である。それは地方に暮らす人々、中小企業の人々、つまり流行の言葉で言えば「負け組」の人々である。
 つまり、「殺されてもいい」という言葉は以下の様に解釈できるのではないか。つまり「私の政策で生活が苦しくなったり、自殺したやつの恨み言なんて知ったことではない。私は「負け組」の奴がなんと言おうと「勝ち組」優遇の政策を続ける。」と言う事である。

 「え?そんなこと言ってるのか?」という人もいるかもしれないが、私にはそう言ってるとしか考えられないのだが・・・
 こんな言葉を堂々と公言する首相など、頭がおかしいとしか言いようがない。

 しかし、ながら上記のブログは小泉のそうした主張や手法を絶賛し、民主党も見習えと言うのである。以下の部分がそれである。

小泉劇場で一人芝居を演じて見せた小泉純一郎も、学生時代は寡黙な青年で、政治家としてスタートしてからも演説下手で周りから顰蹙をかっていたという。しかし、その小泉青年は、その後どのような努力をしたのか知らないが、とにかく「言葉」を磨き、独裁者と揶揄されるまでに言葉を巧みに操る政治家となった。川端や民主党が見習うべきは、小泉のこうした真面目さだ

 真面目さ!!!!! 国民の受けを取るためには、デマや中身のないパフォーマンスを是認すし、連発する小泉が「真面目」!!!
  
 「真面目」というのは「格好悪くても、デマを堂々と公言したり、意味のないパフォーマンスをやらない愚直な姿勢」のことを言うのだと思っていたが、どうも最近は日本語が変わってしまったらしい。

 私はこういう意見にはついていけないし、こういう意見を言う人を森田実氏を超える政治評論家である、と絶賛する感覚を共有することは出来ない。
 
 しかしながら、今やこういう意見が世間の多数を占めるようになってしまったのであろうか。
 
 「嘘でもなんでもいいの、彼を信じるわ」

 ああ、健気な女のようだ...美しくも悲しい。そして最後に泣くのはその女が惚れた男ではない。健気な女である。