「痛み」は気持ちいいのかも

 我ながら大胆なタイトルで書き出してしまった。

 私は自民党に投票した人の気持ちを理解したかったので、この数日暇な時間があったら考えてた。
 私にとって小泉は単なる嘘つきで、弱者の痛みが分からない最悪な奴だと思うが、小泉を支持した人はそうじゃないと思ってるはずだ。その理由の根幹が知りたい。
 小泉はカッコイイ的な意見で小泉に投票したんじゃないないよね?そんなのは単なる馬鹿である。とすると、もっと深い理由があるはずだ。
 じゃあ、政策がいいから?でもこの選挙戦で小泉は郵政民営化しか言ってなかった。それは4年前の総裁選の時もそうだったし。今なおそのレベルだ。総理大臣になったときになんか公約めいたものを色々言った。でも4年経って、8月15日に靖国参拝するっていう公約も守ってないし。国債30兆円枠も全然守ってない。それどころか歴代内閣の中でもっとも国債を発行した男だ。高級官僚の天下りは放置だし。無駄な特殊法人公益法人をなくすっていう話はいつのまにかどっかに行った。経済政策(いや、そんなものはなかったと思うけど)も最悪で、GDP、国民平均所得は減少。銀行の貸し出し金は激減。彼は2,3年我慢すれば良くなると言ったはずだ。年金制度改革だって、どこが100年持つ制度やねん、というようなお粗末な代物だった。道路公団の改革はそこにぶら下がっているファミリー企業のこそが問題の本質だったはずなのに全く触れられなかった。
 何一つ公約を守ってないし、改革と呼べるようなものは何もなかった。時間が足りなかったという意見はおかしい。4年4ヶ月と言うのは歴代内閣の中でもかなり長い時間だ。「これから本番です」なんて寝言である。
 だからきっと公約じゃないのだ。みんなが彼を熱狂的に支持する理由が何か他にあるはずだ。
 んで、たどり着いたのがタイトルのような考えである。
 え、それって「マゾ」って言ってるの?とお思いのアナタ。それはちょっと違う。正確に言うと「俺って、痛みに耐えようとしてるじゃん」的な陶酔が気持ちいいのかなあ、と言うことだ。多分、ドラマとか漫画に出てくるヒーローにでもなったような気分にでもなるのかなあ。
 もちろん、そう思った人も「痛み」を受ける当事者になったら、またはその痛みの当事者であると気づいた瞬間には「痛い」って素直に言うと思う。んでも、それはロシアンルーレットみたいなもんだ。当たるまでは当事者じゃない。他人事だ。しかも、痛みを受けててもそれに気づかないって場合もあるし。
 その人が覚悟した「痛み」はあくまで「自分じゃない誰か」が受ける「痛み」だ。
 それは郵政公社の職員であったり、テレビのニュースでたまに出てくる再就職の憂き目にあってる中高年だったり、統計で数字として出ている経済的な理由で自殺した人たちだったり、「痛み」どころかイラクで文字通り死んでる「誰か」だ。
 あくまで私の物ではない「痛み」を覚悟している状態が気持ちいいのだ。
 そういう人たちにとって、自民党じゃない政党に入れた奴は「痛み」を我慢できないヘタレであり、卑怯者なんだ。きっと。
 「痛み」を我慢することを受け入れたその人はきっと「エリート」だ。エリートだから自分が従ってる規範に外れてる人は罵倒してもいいと思っている。エリートじゃないかどうかは小泉自民に投票したかどうかだ。エリートだからプライドは高い。だから自分たちが間違っている可能性があることは認めない。我々は自分の意志で選択した。騙されてるなんてとんでもない、と。だからネット上で自民な人々はあんなに非自民な人々を平気で罵倒できるんじゃないのかな?
 まあ、それはともかく、自分を「エリート」的な気分にさせてくれる小泉が好きだから、多くの人が彼に入れたのではないだろうか。それは例えその人が客観的には「負け組」でろうが関係なのかも。「とにかく小泉は自分をいい気分にさせてくれる。」それだけで投票行動に至るには十分だったのかも。
 でも、私はヘタレだからあくまで自分の気持ちに正直に言う。私は「痛み」を受けるなんて嫌だ。「痛み」で苦しんで死んでいく人たちがいる社会だって嫌だ。明日自分や自分の親や友達が電車に飛び込んでるかもしれないと考えるとそう言うしかないのだ。老後に生活資金が無くて餓死するのも嫌だ。
 だからタイトルのような仮説を立ててみた。でも、すごい的外れだったかも。いや、でも私の能力ではこれ以上考えられない。
 最後まで読んだ人すいませんm(__)m 真実を教えてくれる人がいたら、ぜひ教えてください。私はアホだけど、真実を知りたい意欲だけはあるのです。