公共事業はそんなに悪なのか?

 小泉は郵貯簡保あわせて350兆円と言われる資金を財投に回す仕組みをぶっ壊したいらしい。これはこの資金が無駄な公共事業や特殊法人に流れているという話なので、それをぶっ壊したいらしいのだ。ところが、郵政民営化反対の小泉龍司氏によれば、この制度はすでに改められたそうである。はて、それじゃ小泉はなんのために民営化すると言ってるのであろうか。。。
 まあ、そこが小泉の言動のおかしなところであるが、それはともかく彼は一貫して公共事業費を減らして来ているのは事実だ。
 そもそも公共事業は本当に無駄なんだろうか、使われない橋や道路がいっぱいあるとかいうことであるが、公共事業で人がいっぱい雇えるとかいう失業対策という意味合いや地方への所得の再分配という意味合いがあったはずであって、これは一種の社会保障ではなかったのか?これは一概に無駄とは言えないと思うのだが・・・
 元々日本は他の先進国と比べて税金も安く、社会保障のGDP費に対する割合も低い、おまけに公務員の比率も低い、これは完全に小さな政府である。ところが公共事業費はほかの先進国に比べてすごく高く、そこに郵貯簡保の資金を当てていたらしいのだ。そう考えるとこれは一種の大きな政府だ。なんかすごい分かりにくい(^^;
 さて、小泉自民の主張では、こんな制度はいけない、ちゃんと小さな政府にしよう、とどうも言っているらしい。それに対して亀井とかは別に今の制度でいいんだ、と主張しているのである。
 小泉の目的が公共事業の縮小にあるとして、その政策の問題点として、公共事業を減らしたとしてその失業した連中はどこに行くのかという点と、じゃあ公共事業無しに地方経済はやっていけんのか、ということが考えられる。それに対して小泉は何も提案していないのだ。事実としては近年の地方経済の荒廃はひどいものである。自由競争に任せればなんとかなるさ、と小泉は言ってるように思えるが、この4年の世の中を眺めていると彼の言う「構造改革」を推し進めれば、どうなるかは目に見えている。それは地方と大都市の格差の限りない拡大である。これを亀井静香とか野田聖子は怒っているのである。
 それに対する私の意見としては、新しい経済のモデルがない限りは従来型の公共事業も仕方ないんじゃないのかと言うものである。小泉は破壊だけしてるわけで、その後の社会の具体的なプランがなにもない。自由競争に任せればなんとなるさ、なんて言ってるみたいだが、この数年、新しくできる会社の数より、倒産する会社のほうが多くなっている事実を見れば彼の考えは間違っているのではないのか。
 もちろん、今の公共事業には癒着だののいろんな問題はある。しかし、だからと言って公共事業自体が悪なわけではないだろう。悪い所があれば改善すればいいだけだ。とにかく悪だから潰せ、という議論は子供がするものである。
 本来はその制度自体が社会にとってプラスかマイナスかと言う極めて詳細な議論をしなくてはいけないはずだが、小泉の単純な語法はそういう反論を無視、あるいは悪魔呼ばわりするだけなので、議論になりやしない。単純な悪も単純な正義も存在しない。私たちは時代劇の世界に生きてるわけではないのだ。
 ところで小渕優子が公認を蹴って、無所属で出るらしいな。こんなに根性ある人とは思わなかった。やはりあの立派な小渕首相の子供だけはあると言う事か。