坊主憎けりゃ袈裟まで憎いか?

 JR西日本に事故の報道がなんかおかしいと思い始めて来たぞ。
もちろん事故は重大なものであるし、JR西日本の責任は重い。原因の徹底的な追究と再発の防止、被害者や遺族への補償は同社の義務である。
 しかし、なんか報道のされ方がおかしい。そう思い始めたのは、被害者の家族でもない記者がJR西日本の記者会見で「社長を呼べ!」とヤクザのような口調で発言をしていたのを見た時だ。
 公正中立なはずの報道機関が、いつのまにか正義を振りかざしているのだ。この瞬間から私はこの事故を冷静に眺めようと試みるようになった。
 なるほど、確かに事故現場から立ち去った出勤途中の社員の行動は明らかにおかしい。しかし、ボーリング大会をやってた人たちまで責められねばならなかったのだろうか? 
 私もこの報道を聞いたときは事故があった時にそんなことしてていいのかよおお、と一瞬思ったのだが、よく聞けば彼らは非番だったそうではないか。おまけに彼らは事故区域の担当ではなかったようだ。論理的に大非難するようなことではない気がする。
 これを非難している人は何を求めているのだろうか?
 非番の社員がボーリングを中断し、自分の担当区域ではないところまで駆けつければ良かったであろうか?んなこと有り得ないような気がするぞ。
 おそらくはこれに怒っている人はJR西日本の非番の社員全員が事故現場に駆けつけ救出にあたるという、到底有り得そうもない理想を求めているのではないか?いや、それをしててもなんか他の点を責めてた気もするが。
 おまけにどっかの新聞の社説がJRの社員の意識を改革しなくてはならん、とか言っているではないか。何万人いるかは知らないが、そんな大人数の社員全体の意識を改革するだなんて宗教団体である。そんな電車は却って怖いぞ。それは結局、事故の再発を防ぐことにはならない不合理な要求である。あたかも昔の体育会系が試合に負けたときに「根性が足らん」とか言っていた風景を思い起こさせる。
 根性や気合を求めるのは週刊少年ジャンプの漫画だけでいい。
 いま必要なのは、人間はミスをするものだ、というごく当たり前の前提に立った、合理的、かつ実行可能な電車の運転、運営方法の開発である。
 重大な事故だが、被害者とその関係者以外は感情的な議論はどっかに捨て去ろう。特にマスコミは馬鹿な報道してないで、冷静に分析しろ。
 それから他の電車会社の社員諸君、事故直後から急に運転や点検が丁寧になってるぞ、なんか過剰反応じゃないのか?