メディアの公共性ってなんだろ?

メディアとインターネットの融合、に関する情報を検索していたらこんな考察を見つけた。

 http://ranosuke.cocolog-nifty.com/akira/2005/03/post.html

公共性、という観念からこれからの時代を予想している。

 メディアの公共性という言葉は最近産経新聞をはじめとするメディアが頑なに主張している。
 長年メディアに触れて来た身としては、どのメディアも恣意的に情報を「加工」して発信している。特に最近の例ではフジサンケイグループの堀江氏への個人攻撃は目に余るものがある。こういう連中の言う「メディアの公共性」なんてうそ臭く聞こえる言葉ではある。
 しかし、だからと言って既得権益に守られたメディアは全部無くなってまえ!とか言うつもりは無い。
 いきなりTV局や新聞がなくなったら政治や経済の動向が分からなくなってしまうので困る。私も新聞やTVによくケチをつけてはいるが、それは「プロなんだからしっかりせえよ」というくらいの意味である。こんな1日100HITもいかないチンケなブログが文句言っても痛くもかゆくもないだろうけど。
 色んな情報を広く社会伝えることは必要だ。その情報は直接取得できればいいが、そんなことは現実的に無理だ。だとすればそれを伝える媒体としてのプロの集団の必要性を認めざるを得ない。普通に仕事をしている一般人には出来っこないからである。
 我々に出来るのはせいぜい、「この新聞はこういう傾向があるから、この記事は本当はこういう意味だろう」とか「これは全然、論理だってないので、嘘だろう」とか理解しながら読むことくらいであったし、これからもそうだろう。
 その意味で既存のメディアの公共性はあると思う。しかしながらその公共性を持つと言うのならば、つねにチェックされなければならないものだ。そしてインターネットの時代は、受けての側が勝手に情報発信や意見交換を出来てしまうという点でそのチェックが厳しくなる時代ではないのか?