この間の週末、漫画喫茶で読んだ。

 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4592170024/249-0011599-6217107

 あまりに作者の筆が遅いので、いったいいつ完結するのかと小一時間(ry
 富樫といい勝負かもな・・・
 まあ、それはいいとしても、この最新刊、スゴく違和感を覚えた場面があった。それは主人公たちが携帯電話を使用していることである。その携帯電話が物語の進行で重要な役割を果たしているのである。
 この場面を見て「おや?」と思った。
 ちゃんと調べたのだけどこの漫画、私が生まれたのと同時期に始まっているらしい(76年開始)。私が初めて読んだのは80年代初頭だった記憶がある。舞台設定だってそのころに合わせていたのだ。すぐには細かく指摘できないけど、80年代初頭だと思える場面がいくつもあった。
 私は心のどこかでガラスの仮面はもっと早く完結してたはず、という意識がある。だから携帯電話が出てくると「おい、いつの間に現代になってるんだよ!」と突っ込みたくなる。(HUNTER×HUNTERみたいな漫画だったら時代性なんてかなりどうでもいいのだけど)
 もちろん完結まで読みたい気持ちはある。しかし、なんだか時期を外してしまったような感じがするんだよなあ・・・もちろんマヤと亜弓がどんな紅天女をやるのかは興味があるし。(また、妙に説明的な台詞で解説しつくされ、納得させようとするのであろう。)速水社長とマヤの恋の行方のも気になるし。月影先生はいつ死ぬのか(なんだかんだ言って最後まで生きてそうだけどw)なんていう興味はあるんだけど、あんまり筆が遅いと白けてしまうんだよなあ・・・
 あんまり遅いと私が上に指摘したように「え?」っていう時代的な違和感がどんどん出てくるような気がする・・・
 物語的には「独自の演技をポンポン生み出す天才のマヤ」と「あらゆる努力で堅実な演技をする努力の亜弓」の対決なんだけど、物語的にはマヤが勝つだろう(っていうかそうじゃないと漫画が成り立たないし) で、速水社長は婚約者を捨てて、真実の愛に目覚めてマヤと駆け落ちかなあ?
 これ、作者が死ぬまでに終わるんだろうな?長期連載には「なんだこりゃ?」っていう終わり方をしたものが少なくない。ガラスの仮面はそうあって欲しくないが。