学力低下だけじゃなくて

 先日、学力低下問題でいい結果が出てるのにやっぱりゆとり教育は問題だ、と大騒ぎする連中を批判した。
 学力テストの結果を書いた新聞記事には「思考力を試す問題は元々苦手な傾向がある」などと書かれていたが、それを取り上げていた記事自体にも思考力の欠如が見られたのは皮肉なものである。
 考える力の欠如はこの新聞記事を書いたり、「ゆとり教育」をつくったりした関係者の世代からずっと続いているものなのではないか。
 みんな世論(いや、周りの人たちと言った方が正確かも)の顔色をうかがって意見を言った結果、論理的な一貫性がまるでない考察を披露してしまうことになったのではないか。要は雰囲気、いや「空気」に流れされてしまったのである。
 論理的な考察は勝手な思い込みや印象論(今の子供はゆとり教育で堕落してる、○×人の陰謀、俺は今まで成功してきたのだから俺に従え、アメリカはすごそうだから日本もあらゆる方面でアメリカの真似をしよう、やっぱり日本はものづくり、だとか)など無視、あるいはスルーしなければ出来ないものだ。
 もちろん記者や官僚は個人的には優秀で、本来は論理的に考えれるという可能性はある。しかし、結果的に表に出る意見が話にならないくらい矛盾しているものだとすれば、何かがその優秀さを歪めている気がする。
 そう言えば前の大戦も当局の関係者は誰も日本は勝てるとは思っていなかったし、日本の利益にもならしと思っていたそうだ。しかし、実際には戦争に突入し、日本は滅亡した。
 これは一体何が原因だったのだろうか、個人個人は戦争は避けるべきだと思っていた、しかし結局戦争をやってしまった。誰も戦争を止めようと言い出せなかったのだ。
 なんか今回の「学力低下」をめぐる騒動も似ている気がする。
 じつは今もなお、戦前と変わらない同じ原理が根底のところで日本社会を動かしているのではないか。