感情V.S.論理(寝る前に追記)

 ニッポン放送株問題」においては地裁で「新株予約権発行差し止め」が決定しました。これに関する種々の報道を見ている限り、ニッポン放送やフジテレビ側には論理と言うものがあまり感じられず、感情を前面に押し出しているように見えます。
 人間、自分のやっていることの「正しさ」を誰かに説明しなくてはいけない局面があります。それで理解が得られなければ、それは客観的な根拠のないものか(妄想?)、もしくはその人の考えが先進的すぎて誰もついていけない場合です。後者の例はほぼありえませんので、人の理解が得られないと、それはまず自分が間違っていると考えていいでしょう。
 周りの理解を得られるにはどうすれば「説明」と言うものをしなくてはなりませんが、報道陣を前にした「説明」は企業や芸能人などの説明を観察すると、どうも2種類のやり方があるようです。それは感情を全面に押し出すか、論理を全面に押し出すかです。私は前者をやっている人間を見ると、ものすごい違和感を覚えてしまいます。芸能人だったらまだ許せるのですが、それが大企業の社長となると会社の中身まで疑ってしまいたくなります。
 このたびのフジテレビ・ニッポン放送側の説明はどうも感情を全面に押し出しているようにしか見えないのです。
 例えばこの記事です。

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_03/t2005030829.html

 「ニッポン放送の社員一同が「(ライブドア社長の)堀江氏はリスナーに対する愛情がない」などとする声明文を出したことに、亀渕社長は「トップとして胸がジーンときた」と目を潤ませながら語った。」

 「リスナーに対する愛情がない」とは堀江氏の行動のどれを具体的に差して言っているのか全く分かりません。それではニッポン放送の人はリスナーに対する愛情に溢れているのでしょうか?是非、それを示して欲しいです。それが出来なければ、単なる感情的な反応としかいいようがありません。(ちなみにニッポン放送の経営権に関するニッポン放送社員声明文の全文はこちらにあるようです。http://www.1242.com/info/seimei/)これを見ると。その愛情に溢れているニッポン放送の姿勢の一例として、クリスマスに視覚障害者のためのチャリティイベントをしていることをあげています。確かにそれはそれで大変意義のあることですが、他のラジオ放送局はそう言ったことを全くやっていないというのでしょうか?
 おまけに社長が「目を潤ませながら」「トップとして胸がジーンときた」のだそうです。なんの集団なのでしょうか?大企業の社長が報道陣を前にして言うことなのでしょうか?

 http://www.asahi.com/special/050215/TKY200503030219.html

によれば、

ニッポン放送には労働組合がなく、50年を超える同社の歴史で初めての社員総会を2日午後6時から開き、全会一致で声明の発表を決めたという。」のだそうです。

全会一致ってなんですか?まるで某国の国民が首領様万歳とやっている場面を見るようで、非常に恐ろしく感じました。「労働組合が50年間ない」と言う事実もまるで某隣国で野党が存在しない状況を見ているかのようです。中小零細企業ならともかく、上場企業でこんなことは普通なのでしょうか?
  
 おまけに次の記事もすごいです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050311ic28.htm

 地裁の判断が出た後、ニッポン放送の亀渕社長はこう言ったそうです。「私ども役員や社員一同の気持ちが否定され、とても残念です。東京地裁に異議申し立てを行います」
 「気持ち」!!主張や論理ではなく、「気持ちが否定され、とても残念」なのだそうです。主観的、感情的で客観性と言うものがあまり感じられません。映画の感想を聴かれたわけではあるまいに、これが上場企業の社長が言うことなのでしょうか?「我々の主張の方が正当性があると確信している」とか言うべきではないのでしょうか?もはや浪花節です!

 この度の地裁の判断ですが、海外メディアは好意的にとらえているようです。

 http://www.yomiuri.co.jp/business/news/20050312it02.htm

当たり前のことなんですが、日本的な情緒を前面に押し出している側の主張なんて、日本人以外には分からなくて当然でしょう。国境を超えれば、論理がほぼ唯一の正当性を示す手段です。(武力という手段もありますけどここでは無視)よって海外のメディアは裁判所の理論的に説得力のある判決に納得したのではないでしょうか?

 一方で堀江氏の方の言い分ですが、非常に論理的な一貫性を感じます。彼の強烈な自己責任論に基づく言動は、過激ですが、一貫性はあります。(怪しいところもありますがw)もちろん彼の言動はこれまでの日本社会の規範を大きく揺るがすものです。日本社会で今の地位を築き上げてきた人には脅威と映るでしょう。人間異質のものには拒否反応を抱くのは普通です。それは自然と反発を招くに決まってるのです。しかし、その反発する側の言動があまりに情緒的で、時に滑稽に見えます。
 感情を前面に押し出せば、もちろん論理と矛盾します。
 このたびの地裁の判決は、その感情的な行動は、法律と言う「論理」の世界では通用しないことを示したのではないでしょうか?(私はこの判決が出るまでは日本の裁判所も感情に飲み込まれているのではないかと疑ってました。)
 自分達が株を自由に買えるようにしておきながら、いざ、ライブドアが買占めをすれば、その買い占め方が問題だとか(地裁の判断ではライブドア時間外取引は適法だったそうです。)、ライブドアニッポン放送を「乗っ取れば」、取引中止にしてやると脅しをかけたりだとか(これは独禁法に違反する恐れがあるそうです。http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20050314mh02.htm)、挙げ句の果てに自社の株を持っている株主に市場値よりも低い価格で株を買い取ろうと持ちかけたり。そりゃあ、色んなしがらみがあれば売らざるを得ない立場の人はいっぱいいるでしょうが、損を覚悟で売れなんて、あんまりにもひどい。
 早速、東電の個人株主が東電の経営陣に賠償請求をした模様です。(http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050314i313.htm)今後もこの動きに追随する株主もいるのではないでしょうか?
 上場企業であれば、自分達の対抗策や、相手のやってることが違法かどうかくらい事前に調べるはずだと思うのですが、「時間外取引は違法」との主張が地裁では認められずに逆に「新株予約権の発行」というニッポン放送、フジテレビ側の対抗策が否定されたのです。(「取引中止」に関しては判断が示されなかったようですが。)
 この地裁の決定は高裁で覆るのでしょうか?弁護士の落合先生は「あくまで報道を見た限り」という条件をつけながらも「裁判所の判断には説得力を感じ、これを、ニッポン放送側が覆して行くことは相当困難という印象を受けます。」
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050312)と書いておられます。
私もそうであって欲しいです。私は別にライブドアの味方ではありません。(味方っていうのも変な表現だけど)もちろんライブドアの姿勢にだって疑問を抱く部分はあります。しかし、名のある大企業があまりに感情的な対応をするこの状況は、違和感を感じざるを得ません。高裁でこの判断が覆ったら、私は日本を出て行きたい気分です。